四求(弘)浄願
(シグジョウガン)とは?







あらゆる仏・菩薩が起こすといわれる
四つの誓願
(せいがん)がある。


@衆生無辺誓願度 「しゅじょうむへんせいがんど」 
  *あらゆる人々をさとりの彼岸(ひがん)に渡そうという誓願。

A煩悩無尽誓願断 「ぼんのうむじんせいがんだん」
  *尽きることのない煩悩を滅しようとする誓願。

B法門無量誓願学(知) 「ほうもんむりょうせいがんがく(ち)」
  *量り知ることのできない仏法の教えを学びとろうとする誓願。

C仏道無情誓願成 「ぶつどうむじょうせいがんじょう」
  *無上のさとりを成就(じょうじゅ)したいという誓願。



これを四弘誓願文(しぐせいがんもん)という。



これは仏に作(な)ろうと願う心であり、上には菩提(ぼてい)を求め、下には衆生(しゅじょう)を化(け)する心をもって、となえるものとされている。


これをふまえた上で、
神密道・神門(しんみつどう・じんもん)においては、まさにみづからを神佛の御前にかしこまり、神佛へのバクティ(謙譲けんじょう)一心身をして、 神我一如(しんがいちにょ)をひたすら浄願するために、四求浄願をここに掲げる。


これをふまえた上で、神密道・密門(しんみつどう・みつもん)においては、まさにみづからを神佛の御前にかしこまり、神佛へのバクティ(謙譲けんじょう)一心身をして、 神我一如(しんがいちにょ)をひたすら浄願し、自他幸一如をあまねくするために、四弘浄願をここに掲げる。





四求(弘)浄願を唱えるための
心得とこころの詩



祓(ハラ)ヘタマエ
祓(ハラ)ヘタマエと唱(とな)うる者は、こころ素直に世の中の、ケガレ・アクタに侵(おか)された、いま知るわたくしそのままに、ただそのままにあるがまま、御前御影(みまえみかげ)とさし現せば、いっさいあるは御こころと、御神の御こころそのままが、いま知るおのれこの様(さま)と、ここにある様ミココロと、ここにある様ヨゴコロと、こころ素直にマゴコロと、ひとつおもいにひたすらに祓(ハラ)へタマエとひたすらに、祓(ハラ)へタマエとただ唱(とな)へタマエ。
禊(キヨ)メタマエ
禊(キヨ)メタマエと唱(とな)うる者は、こころ素直に世の中の、ケガレ・アクタに侵(おか)された、いま見るわたくしそのままに、ただそのままにあるがまま、御前御影(みまえみかげ)とさし現せば、いっさいあるは御こころと、御神の御こころそのままが、いま見るおのれこの様(さま)と、ここにある様ミココロと、ここにある様ヨゴコロと、こころ素直にマゴコロと、ひとつこころにひたすらに、禊(キヨ)メタマエとひたすらに、禊(キヨ)メタマエとただ唱(とな)へタマエ。
癒(イヤ)シタマエ
癒(イヤ)シタマエと唱(とな)うる者は、こころ素直に世の中の、ケガレ・アクタに侵(おか)された、いま触(フ)るわたくしそのままに、ただそのままにあるがまま、御前御影(みまえみかげ)とさし現せば、いっさいあるは御こころと、御神の御こころそのままが、いま触(フ)るおのれこの様(さま)と、ここにある様ミココロと、ここにある様ヨゴコロと、こころ素直にマゴコロと、ひとつからだにひたすらに、癒(イヤ)シタマエとひたすらに、癒(イヤ)シタマエとただ唱(とな)へタマエ。
縁(ムス)ビタマエ
縁(ムス)ビタマエと唱(とな)うる者は、こころ素直に世の中の、ケガレ・アクタに侵(おか)された、いまなる知るわたくしそのままに、ただそのままにあるがまま、御前御影(みまえみかげ)とさし現せば、いっさいあるは御こころと、御神の御こころそのままが、いまなるおのれこの様(さま)と、ここにある様ミココロと、ここにある様ヨゴコロと、こころ素直にマゴコロと、ひとつひとつよひたすらに、縁(ムス)ビタマエとひたすらに、縁(ムス)ビタマエとただ唱(とな)へタマエ。


四求浄願へ

四求(弘)浄願をひたすらに、ただひたすらに唱えたまえ。