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手印と脚印



坐禅はどうして脚を組むの



どうして坐禅の時、脚を組むのか、
あなたは知っていますか?


「坐禅といえば結(半)跏趺坐に決まっている」
と、はなから考えたことのない人がいるかと思えば、
坐禅は修行、あの痛みをこらえてこそ価値がある
とまでいう人もいる。




結(半)跏趺坐はじゃまな足を、
ただ折り畳んだだけのことでしょうか?

足のしびれに冷や汗をかくための、
自虐的なやせ我慢なのでしょうか?

いえいえ実は、
坐禅の時、結(半)跏趺坐を組むのは、
足を使って印を組んでいるのです。

手を使う印を
手印(しゅいん)といいますが、
結(半)跏趺坐こそ、
足を使った
脚印(きゃくいん)なのです。






結印
天印一結 道天聖地
地印一結 道地聖天
心印非結 落天泡地
結印一変 天地三転
妙印常結 不住天地






手印と脚印について
*坐禅や瞑想になれ親しんでくると、身体を流れる気の流れに敏感になる。
*手印の形ひとつ変えるだけで、その瞑想がまったく別の意味合いを持つことに気づく。
*さらに行けば、印を結ぶ指先をほんの1ミリ動かすだけで、身体中の気の流れが一瞬にして変わり、全身に衝撃が走る。

心身渾然の坐禅とは実にダイナミックな体験なのである。
まさに「
結印一変 天地三転」である。

がその反面これは、肉体的には重度の後遺症を残すほどの、精神的には取り返しのつかない因縁を産み落としてしまうほどの、危険性をはらんだ状態であるともいえるのである。

もちろんそれに引きずられては、坐禅を組んだ意味がない。
三昧を得ることも出来ないし、いちいち手印の衝撃に翻弄(ほんろう)されていては、坐禅を組むのも命がけである。そこで、


そんな身体の劇的な気の流れを受け流し、
精神へのフラッシュバックを食い止めるために組むのが、

脚印(きゃくいん)

足を使って成す、不動の印契なのである。



手印は天印の一である。
ひとたび結べば観自在、天上界から地下界まで、
あらゆる世界を自由自在に駆けめぐることができる。

脚印は地印の一である。
ひとたび結べば不動不屈、心身に降りかかる衝撃を和らげ、
それに引きずられない基盤となすことができる。