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須弥山太鼓保存会の歩み


須弥山太鼓保存会 須弥山太鼓創作の背景 須弥山太鼓保存会


清流太鼓
須弥山太鼓発表会
須弥山太鼓発表会を終えて
須弥山太鼓 昭和50年5月 第1回大かやば焼が妙高高原・春のオープニングセレモニーとして実施された時
雄大な妙高山を背景ににした勇壮な太鼓を創作しようと言う意見が出されたのが始まりです


昭和50年6月16日 第1回関係者打ち合わせ会を開催


主体団体
妙高高原観光課 教育委員会 町観光協会並びに各地区観光協会 町商工会並びに観光部会
青年部 婦人部 旅館組合連合会並びに各地区旅館組合


協力団体
各部落並びに青年会 婦人会 町公民館並びに各地区公民館



昭和50年6月21日 第1回太鼓創作実行委員会を開催

実行委員会の組織と運営
総務部・・・・観光部会役員により、太鼓創作に係る企画、渉外を担当
       作曲、振付、太鼓衣装等の依頼、各部との企画調整

財務部・・・・観光協会役員、商工会役員により、財源(補助金・寄付金)の調達を担当
実施部・・・・商工会青年部員、婦人部員、青年会員を中心とした演奏者の募集と演奏を担当


指導者
作曲・・・・岩井直博先生(東芝レコード専属)
振付・・・・飛鳥亮先生(日本民謡舞踊連盟会長)
指導・・・・橋本清先生(妙高中学校音楽教論


7月9日より1カ月間 週2回青竹による基礎練習
太鼓が到着してからは振付の練習も併して行われ

妙高山とその裾野に広がる妙高高原を愛し
郷土芸能の発掘と創作に熱意を燃やす若者達と関係方面の方々からの積極的な要望により
妙高高原を紹介する芸能として



昭和50年11月2日
の初舞台をもって須弥山太鼓の誕生となりました



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須弥山太鼓
須弥山太鼓




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池の平 いもり池
須弥山太鼓
須弥山とはスメール(sumeru)といい、妙高山と訳し
仏教発祥の地、古代印度で想像された世界構成を表徴する山であり
また世界の中心にそびえ立つ高い山をいいます

越後富士といわれている秀峰妙高山の四季を勇壮な太鼓のリズムに折り込んで
須弥山太鼓と名づけました

須弥山太鼓


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