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第一章 白老師との出会い

【観世音菩薩の胸中に飛び込む】 1




さらに一年ほど前。 ひとりの友人の死とその後の出来事を契機に、それまで興味はもっていたものの、まだまだ他人事であった死後の世界が、急に身近なものとして実感せざるおえなくなっていた。  N君当時二十二才。持病に気管支喘息をもつ彼は、決して横になって寝ることはなかった。 彼は枕をもたなかった。  何故なら彼にとってベットに横になることは即、死への旅立ちにほかならなかったからである。  「横になって寝ると、のどが詰まって呼吸ができなくなるんですよ。もう何度救急車に乗るはめになったか知れない」 と語るにがい笑顔と、背中に丸めた布団によりかかる寝姿が、いまでも強く印象に残っているが、そんな彼がとうとう永遠に横たわったと連絡を受けた時、わたしは確かに死(死に方ではなく死そのもの)を身近にした。 そのころからであった。  白老師との出会いも含め、わたしのまわりにはたびたび奇怪な出来事が続いたのである。  しかもあまりにたび重なるものだから、わたしは次第にそれらが夢・幻の範疇におさまりきるものではなく、日常という実際にかかわるものとして認識し始めた。 そして白老師の存在をつねに身近に感じるようになったある年の夏。ある神霊能力者の著書に誘発され、霊や霊界の実際を意図的にかいま見ることができる鎮魂帰神法を、とうとうひとりで実践するようになった。   すると幸い、わたしの心身が鎮魂帰神に適する状態にあったのか、当初から驚くほどの効果を得ることができた。日毎に浄化していく光の中心に自分を投げ入れては、無条件の至福を一心に感じることができたのである。 中でも特に感慨深く記憶しているのは、行く手に観世音菩薩をはっきりと認めた時であった。 観世音薩とは誰もが承知のとおり、慈悲の化身として数多くの人々の信望を集めている存在である。化身である限り、こころの投影が擬人化した、たんなる霊的心象の可能性が高いとの認識は以前からあった。 だがその時のわたしは、そんな頭での認識以前に、自分のような人間であっても観世音菩薩の大慈悲の恩恵にあずかれるのかと、にわかにこころが騒ぎ、もったいなくもかたじけなくも思い、いきおい胸中に飛び込んで行ったのである。  ところがその途端、天空を震撼させる大音響とともに、観世音菩薩のみ姿が大爆発した。。。。。。。


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